いまの時代での位置づけ

どうだろう?いっそ、少なくとも日本のメディアとは、偏向のあるものだと理解させたほうが良いのではないか?

 

私が子供の頃などは、メディアというモノは賛成も反対も平等に報じる、それがメディアの役割だ、などと学んだ。が、どうも胡散臭い。昨今特に、だ。
へたに、平等だ、平等“のはずだ”などと、皆が生半可に信じているという事こそが、タチが悪すぎる。
それよりも、偏っているものだ、だから本当にみんながそう思っているかどうかは、各個人で調べる努力が必要だ、と伝えてはどうか?
 
平等だと言いながら、○○系の記事に関しては、A新聞はこっち寄りで、B新聞はあっち寄りでとか、すでに暗黙の事実になってるじゃないか。
 
もちろん、この裏付けとしては、誰もがそうした情報にアクセスできる、またそれらスキルを持ち合わせていることが前提になるだろう。が、これさえも、
「全員が持ってないじゃないか、だから今はそうすべきではない!」
といった反対の声が必ず出るだろう。
しかし、ではいつになったら、完全な状態になどなるのだ?そこまで待っている間に、より多くの人々が被る情報操作の被害と、天秤にかけることくらいは、はじめてもよいのではないだろうか?
 
人々が、他の大きな力に翻弄される前に、メディアの真実に翻弄される前に、誰もがそれを疑ってかかる事は、とてもコストがかかる事ではある。でもそのコストをかけてでも、目を覚ましたほうが良い状況になっていないだろうか?
 
本当は、信頼し合える社会であったら、どれほどに効率がいいか計り知れないはずが。でもしかし、こんな状況であるがゆえに、それに翻弄される人が増えている事実も。
だから疑うのではなく、考える癖をつける。翻弄されてしまわないためにも、後悔しないためにも。