完成させなさい

学校の締め切り日までには完成を。

そういう「宿題」から離れて久しい。

 

しかし、仕事においても、何かを完成させなければならないことはよくある事。明日のプレゼンまでに仕上げなければ。来週の展示会に間に合うようにバグをとらないと。オンラインは明日の10時、そこまでがリミット、だとか。

 

「完成させる」とはどういうことだろう?それは、「とりあえず」の終わりを決める事ではないだろうか?

「とりあえず」と書いたのにはもちろん意味がある。

「ここまで。これ以上もう何も付け加えたり変更したりしない」という終わりももちろんある。いわゆる普通にイメージする「完成」だろう。

しかし。

「とりあえず、ここまで。ここでいったんケリをつけて、他のアイデアは次のバージョンで」という終わりもあるはず。名前を付けていったんリリースする、形にしておくのだ。そこまでの完成に対して、結果を求めたり、対価を得たりする。そうすることで資金やエネルギーを補給しながら、さらにその次へとつなげていく。

 

要は、そうすることによって、どんなサイクルで、どのように補給を続けながらその活動を続けていくか?という事。ずーっと手持ちの持久力的にのみ頼って走り続けて行ける、ならそれに越したことはないけれど、途中で適度に休憩を取ったり、補給を取ることで、結果としてうまく、早く、効率よく走り続けられることをめざす。

そのために、とりあえず「ここ」でまず完成させただけであり、ここが「最初の完成」にすぎない。

 

どう完成させるか?その意識を持たず、それを伝えずに「完成」だけを強いたとしても、結果的に意識がずれたりもする。

子供であろうと、部下であろうと、どう完成させたいのか、させるのか。その先は今後もあるのかないのか。きちんと意思疎通が必要なのではないだろうか?