思い出の扉を開ける鍵

映画や演劇、コンサート等を見に行ったりして、薄いパンフレットを購入することがあると思う。フルカラーだったりもするが、ページ数の割には割高なそれ。しかし、そこ以外では手に入らない、そこでしか買えないとなると、高いな…と思いながらもそれに手を出すことも。

 

それは「何」を購入しているんだろうか?もちろん、「それでしか手に入らない情報」という側面はある。だがそれだけなのか?

もしそうだとするなら、「ネット上に専門ショップを立ち上げて、パンフレットを独占的に仕入れて売り出すこと」をすれば、それはそれで結構な利益率で成り立つはずだ。が、多分そんなところでは買わない。そこまでして買わない、と言う人が多いのではないのだろうか?

 

だとすれば、人々はそこで「高価なパンフレット」と言う形をした何を買っているのか?

もちろん、全員が全員「それだ!」とは言わないが、結構多くの人が「思い出のトリガー」を購入しているのではないだろうか?

 

それは旅行先のキーホルダーに似ているかもしれない。「そのキーホルダー自身」に価値があると思っている人は多分少ない。が、そうした手ごろな価格で買える「それ」によって、「あぁ、あそこに出かけたな」とか、「あの場所の思い出のきっかけ」として思い起こされ、反芻され、思い返すことで楽しかった時間に浸れる。そんな記憶のきっかけが欲しいんじゃないだろうか?

 

もちろん、「であればなんでもいいじゃん」ではなく、おしゃれに越したことはないし、実用性があってもいいかもしれない。だからキーホルダーのみならず、カップやセトモノなんて形のものがあったりもする。

 

欲しているのは「そのもの」ではなく、「その時の時間を“思い出せる”、素敵な何か」であればいい。


…と想像するなら、そこで買ってもらうものによって、昔の時間を売るのではなく、それをきっかけにした未来の時間の過ごし方を売っていることになるのでは?

ならば当然、死蔵されるものでは困るはず。思い出として、反芻して欲しいのだから。取り出しやすい形、いつでも目にする、手にしているモノに。

欲しいのは、ソレで開けられた、思い出の扉の向こうにあるモノ。