数が力…

多数決という決め方がある。

が、以前ここでも書いた気がするが、この前提は、「しっかりと議論を尽くしたうえ」で、数が多い方は?という、ディベートが大前提の物事の決め方のはず。なので、どちらかが一方的に議論を押し切るとか、十分な説明なしに、という状況では、本来的多数決という意味とは全く違い、数の暴力でしかないはず。

 

これとは別に、数が意味を持たない時もある。

たとえば、数学上の難問として理論の証明がなされていない予想問題。これに対して、「数」で挑んだところで全くの無駄だ。ここには本当の意味での才能にあふれた本当に一握りの天才が、思考を尽くして挑んだ末にやっと解を得る。こういう難問に「普通の社会人を500名、1000名突っ込みましたから」といって解けるはずのないことは自明の理。

 

だがそれ以外にもあるのではないだろうか?多数で決を採ったからこれが正しい、と言えることばかりなのか?本当に数が多ければ正しかったのか?上記のように、「凡人の意見を大量に採用することで方向性を決める」でいいのかどうか。そうしたことを冷静に見極められる人が減ったのか?いや、冷静に正しいことが言える環境が無くなりつつあるのか?

そもそも、考える事すら慣れていない人がいると言う事実もある。単に、目の前の事象に流される人もいる。そういうなびく意見の意義をどれだけ認めるべきなのかいなか。

 

数が力…としか考えないと、思わぬ方向に流れることがある。

さて、その決定は本当に正しい方向なのかな?