違っていいこと を教わる場

保育園幼稚園まではともかく、小学校以降、学校と言うところにおいて子供は、みんな一斉に、とか、さぁここまでにと、共通の制約をかけられる事が多い。

が、どちらかというとそれは、統率者側の都合である場合がほとんど。そうすることで、彼らに一斉に、効率的に物事を教えられる。一気に全体レベルを上げることができる。まさに教育「システム」。
 
これとは反対に、みんなとは違っていいんだよ、などと言葉では言うこともある。けれど、それを行動で示すタイミングはどのくらいあるだろう。
 
きっと敏感に感じているはずだ。
自分が子供のころであっても、そういう思いがあった記憶がある。「さっきはこう言ったのに、今は反対のこと言ってる。どっちなのさ?」と。
 
結局、大人が「大人のその時の都合」で、こうすべきだと諭される。反抗したところで結果としては、大人の都合で動かされる。
ある時には「みんな違っていいんだよ」。でも別の時には「みんな同じようにして」。
 
本質的に「違っていい事」を学ぶ場は、もしかすると大学。少しいい先生に当たった人は、高校のころにその機会がめぐってくるかもしれない。
 
本当に違っていいのか、いやいや、同じでなきゃいけないのか。大人になれば自然にわかる…と思っていたけれど、どうもそうでない人もいるような。一緒にしている方が「楽」だ。だが一緒でいると「楽」でしかない。
 
本当に違っていい事/時は、結局勝ち取らなければ得られないかもしれない。が、勝ち取る事すら教えてもらえないかもしれない。
まずはその事を知ることから。