減らしていく時代

結局は行き着くところ、経済とは数であり、人口であり。人が増加している、より良い生活を求め続けているところこそが、経済の発展を(必然として)果たす。それがどれだけスムーズなのか、もしくは一部の階層にのみ偏って進められてしまうのか。

 

日本は言うまでもなく、人口減少期に入った。であるがゆえに、公共物、ハコモノはもちろんの事、設備を減らしていく必要がある。とはいえ、今まで機能していることが前提だった装置。これらを、機能を維持しつつサイズダウンするというのは、実は大変な難事業であるはずだが、実はスマートな解がない。
 
そもそも、某大施設の決定責任でうろうろするよりも以前に、これら今までの公共施設を維持管理運営していく費用すらきちんと計上できているのかどうなのか。経済発展の途上であれば(人口が増加中であれば)、そもそもそういう経済の伸びに隠れて、そうした費用はうやむやにできたかもしれないが、もちろん今はそうはいかない。
 
であるからこそ、無駄なモノはたてるな、メンテナンスコストを事前に考慮せよという考えのはずなのだが、「いままでそんなことは考えずに来た」という悪しき踏襲をするがゆえに、「これからもそんなことを考えずに決めていく」という、バカな決定経路で物事が決まっていく。
 
要するに、こうした本質的な事すら見抜けない人は、やはり考えていない人であり、本誌素敵な意味での責任を取る気がない人々だろう。
 
非常に難しい課題である。
が、視点を変えれば、大きなチャンスとみなすこともできる、はず。
チャンスに見えない人は、たぶん変わりたくない人か、もしくは変えたくない人か。
 減らすと言う事と、発展と言う概念を、どう昇華させるのか。
経済学者、エンジニア、ビジネスパーソンのみならず、思想家や哲学者の活躍の出番だと思うけど。