歴史の中で学ぶ

Windows のシステムがどうしてこういう構成になっているのか?を学ぶ。純粋に技術的要因だけならまだしも、それは歴史的理由からなっている部分、テクノロジーの限界からなっている部分、などなど、さまざまな要因をひもとかなくてはならない。

さらには、Windows のみならず、Mac との関係性(MicrosoftAppleの確執等々)がわかっていないと、理由がよくわからないことも。

 
そもそも1テクノロジーでも結構大変なのに、複合したテクノロジーの塊などは言うまでもなく。
 
別にコンピュータに限った話ではなく、たとえばそれ以外のテクノロジーの成果物としての車なども全く同じ。エンジンの構造はもちろん、どうしてそういうサイクルで回すことでエネルギーを取り出せるのか、そもそも4サイクルでないといけないのか?など、いろんな事例があり、その当時のテクノロジーの限界、経済性など、さまざまな要因がまつわって。
 
とすると、今後伸びると言われているであろうロボット。確かに、ここ20年ほど前から、二足歩行あたりには注目されてきたけれど、ソフトウェア技術として、人工知能技術としてなどを組み込んだ総合産業としてのロボットは、歴史の中で学ばなければ理解できなくなることに。
 
そのモノを、全体俯瞰をして、全体最適化した商品を作ることができるうちは、進化の技術的方向がぶれることがあるものの、他方で、多様性が生まれる可能性も秘める。反対に、システム自体が大きくなりすぎて、全体最適が不可能なほどの製品、商品になり始めると、部分最適的発展性を砥げたりする。技術全体の方向が大きく左右されることは少なくなるものの、不連続性のあるような、突拍子もない突破案が出にくくなるのが弱点か。
 
歴史の中で学び、そして、それをわかった上でそれらと全く違うところからの発想を試みよ、と。突きつけられているモノは、辛く、しかし大きな隠れたパワーを秘めていることが。
明日からも頑張ろう。