手段の話、目的の話

憲法、法整備、解釈。

 
安全面からの憂い、ルール面からの憂い、実行面からの憂い、さまざまな思いが交差する。
 
見ていて思うのは、「で、どんな形にしたいのか、なりたいのか」ということが、十分に議論されていない事。
なりたい方向はどうなのか。ありたい姿はどうなのか。
こうしたことが共有できたうえで、では、それを実現するためにはどうやっていきましょうか?と、手段の話につながる。今は、この手段を使わせてくれ、いやダメだ、ということばかりでは?
 
そこで、取るための手段はどんな手があるのか?もちろん、一つではないはずだ。憲法を改正すると言う大元を変えるのか、いやいや、大元は変えずに、解釈だけで手段は手中に得られるのか?そもそもその解釈はただしいのか?
 
こうした実質的な議論がきちんとなされずに、その上さらに、それらの「決め方」が、事実上のルールを無視した形で押し進められた。
 
こんな、何重にも積み重なった不具合、不都合をきちんと理解されているのか?何となく押し流される思いが、結果として全体を不幸な方向に押し進めていないか。
誰も無駄に戦いたいなどとは思っていない。でも、どうなりたいのかは、まだ十分に議論されていない、と、私は思っている。