そのルールが必要なとき

それは、上手くいかなくなった時に意味を持つ。

物事が上手くいっている時は、そんなルールは必要ないと言ってもいいくらい。
 
だからこそ、悪くなった時の事を想定する。最悪の事態を想像する。
その想定が甘ければ、それは結局、その時になって、あと付でルールを作り、対処する、と言う事に。その最初の事態には間に合わない。
判断基準は、その時に判断する人、が判断基準。その人が全体俯瞰できている人かどうかの保証すらない。
 
歴史から学ぶ人は、「その時」にどんな人がその立場に来るのかわからないため、慎重に、対処していく。「今」の人たちがどうするか、と言うのは、非常に狭い範囲、近視眼的ものの見方でしかなく、誤解を恐れずに言えば気にする必要すらない。そもそも「今」の人たちの判断からしてやばくなるともなれば、だれもそのルールを通さない。
それよりも、「将来そこに位置する人」がどんな人かわからないからこそ、そこに安全弁を仕込んでおく。それも、簡単に外せる安全弁ではなく、強力な安全弁を。
 
しかし、為政者は徐々に安全装置を解除して回ったりする。実は、そっと周りの安全装置を解除し、ふと気づくと、カギのかかっていない扉が一枚しまっているだけ、ということにもなりかねない。
 
今必要でない事に、どこまで想像が及ぶか?
正しい想像ができない者に、適切なルール作りを任せると…。