分かることの喜び:理屈の神

小学校の時、図書室で、シャーロックホームズにはまった。今見ると甘いところもあるのだけれど、論理で突き詰める、理詰めで物事が解けることの面白さにはまったからだ。

 

誰が考えても、ブレなく同じ解にたどり着く。そういう意味では推理小説のみならず、算数や数学、理科の化学式などでワクワクした。

わからなかったことの理屈、理由が分かると、とっても嬉しかった。

あぁ、だからこうやって解けるわけ!
あてはめてみると、あれも、これも、同じように全部が解けてくる。一つ理解するだけですべてが見えてくる。こんな魔法のような驚き、自分で理解できた時の喜び。
 
その同じ理屈で、別のことを考えてみると…と、別のことに応用しても、その理屈が通用するのも、それはそれで面白かった。
あぁここでもうまく行くんだ。
抽象化まではもう一歩。全く同じ事、世界でなくても、形式が同じなら、同じように扱えるモノがある。
 
考えた通りに行く、予想した通り、理屈通りに見えてくる。
だとするなら、こうすると…、と、自分がそれらをコントロールできる側にもなれたりする。想定した動きまでも制御できるようになれば、それは工学へ一歩近づく。誰かの役に立てるかもしれない。
 
本当の万能の神にはなれない。でも、ごくごく小さな理屈の神になれると、ワクワクする。とても楽しい。
それでみんなが驚いたり、喜んだりしてくれることは即ち、私が認められていることにもつながっている。
 
分かった時の喜び。マンガじゃないけれど、それこそ「頭の上に電球が灯る」ような、そんな感動。これを味わったことがある人とない人とでは、きっとその後の人生が変わるんじゃないだろうか。
 
そんな「灯り」をともして回れるように。
別に子供ばかりじゃないはずで…。