絶対、を信じる施策

「これは絶対××だ!」

絶対信仰は、話が単純化できる。とても強力なツールだ。
それが非常にピンポイントであるならば理解はしやすく、明らかに外れていれば誰も見向きもしない。しかし確かに当たっているなと賛同を得られれば(それが真実である必要はない、思ってもらえればそれで十分)、そのピンポイントから外れた他の事を隠し通せるくらいの力を持つことがある。
 
それに引き換え、いろんな可能性が少しでもあるのを全て考慮し始めたら、それは大変だ。が、往々にして頭のまわる人であればあるほど、こうしたことにまで細部に考慮し始め、「断言」ができなくなる。
 
本当は物事が見えていなくて、猪突猛進的に「これだぁ!」と断言する人と。
そうではなく、いろいろ見えすぎているからこそあちこちに気を回しすぎて断言できない人と。
どちらを信じるか、どちらについていくべきかは悩ましい状況だ。
 
 
こんな時に考えなければならない/認識しておかなければならない事のひとつは、自分の許容だ。
 
全ては許容できない。だから、全てが起きないようにしようとすると、莫大な対策が必要になる。そのためにあれもこれも考え、いろいろと気を回して…。そんなことをしていては適切な決断、判断を下すことはまず不可能になるだろう。
だからといって、それらは絶対に起きませんと言われたところで、盲目的にそれを信じるのも、マズイのは言うまでもない。
 
だから、まずは許容値を共有する必要がある。ココがずれていれば、そもそも議論に入れないはずなのだ。だからうまくこの情報が共有できていない時には、その対策方法以前に、許容できる/できない議論が巻き起こり、話はこんがらがって解きほぐせないことになるのはよくある事。
 
許容値はどこにあるのか。それすら認識していない人さえいるのだ。まずはここから。そしてその上での施策議論を。