自主性と強制

一見、参加してもいい/しなくてもいい、とか、選んでもいい/選ばなくてもいいと書かれているもので、決めることができるように見えるても、事実上の「強制性」を強いられるものがある。お金が絡むところでは、詐欺ではないかと思えるほどのものまで。

自治会、自主的加入を前提とした強制加入とか、PTAとか。
 

そうした見えない圧力があるモノは、本当に「自主的加入」にしてしまうと、多分成り立たないことが誰にもわかっているからだろう。
だが、「それが成り立たないことで出る不具合」と、「成り立つようにする面倒くささ」の間が、きちんと判断されていない事がほとんどではないだろうか。
 
たとえば自治会等では、当初は参加なんかしたくないと言いながら、いざ自宅の周りなどで自分が困る事が生じた途端に、地域でなんとかすべきだろう!と文句を言うやからが多いことから、自主的と言う名の強制加入が求められる。
 
そうした事まできちんと表明したうえで、冷静に対処したい(粛々と判断したい)と思ったりもするのだけれど、いやいやそうは言っても世の中は人情、浪花節。だったら後から加入する場合のペナルティまで最初にルール化するべきだと思うんだけれど、今度はそうした「ルール」に対する考え方が弱かったりするので、まだまだ脆弱だったりするんだけど。
 
強い地盤、基盤をつくるって、大変だよね。