暗黙の了承が壊れる

長期雇用、終身雇用が叫ばれていた昭和時代はすでに遠く過去のものとなり、昨今では、金銭解雇も実質的に解禁できるようにしては、といった議論さえも。

 
別に契約書で交わされていた、「定年まで必ず雇用します」といったものはなかったかも知れないけれど、それに近い運営が長年なされていた。が、それがある意味、一方的に破棄されようとしている。いや、一方的と言うのは酷かもしれない。それなりの対価を決めようかと言う話か。
 
ただし、これまで暗黙であろうと実施されてきたマインドが切り替えられないものにとっては、こうした変化によって大きな衝撃を受ける。会社にしがみつこうとしても、そもそもその会社自身がやせ細り始めていてしがみ付いていられなくなることになる。
いや、それまでは簡単にしがみつけていたわけではないんだけれど、昨今の社会が、会社が、あからさまに、なりふり構わずそういう行動をとりだしたことが強く影響しているんだろう。
 
相手から切られる時は、結構突然。なのでこちらの準備、マインドセットが追いつかない時がある。
逆にこちらから切ろうと意識すると、いや、切るという決断以前に、切られたらというマインドセットが変えられれば、それなりの準備をしたり、事前対策が打てたりする。
 
なら、自分から積極的にそういう場に身を置かなければ、ぬるま湯に浸っている時に、突然「ぶっつり」と相手から切られるのは、大きな痛みを伴う。
 
 
一見個人に冷たい世の中になるような気にもなる。
が、たぶんこれは、結果として企業に厳しい環境になる気がしてならない。
働き手が自由に選択できる時代になれば、企業はその価値を正当に認めなければどんどんとそこを去っていく。魅力ある企業は、魅力あるメンバーを魅力ある対価で雇い続けなければ、自社の存続が難しくなるからだ。
…だからといって来年からすぐにそうなるとは思わない。が、たぶん将来的にはそちらの方向に動いていかざるを得ない。
 
とは言え、そんな素晴らしい能力を持たないモノはどうするのか?という疑念を持たれる人がいる。
でも私はこう思う。それは持っていないと「思い込まされているだけ」ではないかと。それをいかに自分で認識できるか。自分の、他人から見た価値を自分で理解しているか。これがこれからの人が持つべき一つの大切な能力ではないかと。