存在と周辺

そこに「ある」事こそが価値を生むものもある。旅行へ行った時のランドマークなどはまさにそのもので、みんなは「それを見る」ことによって価値を感じていたりする。

また、それがそこにあることによって、その周りが、それを取り囲むように価値を創り出すこともある。中心となるモノがあって、それをサポートするようなモノづくり。

 

だが、悪いパターンになると、「そこにあるモノ」の価値にあやかって/ぶら下がって、そのおこぼれにあずかろうとする者たちも出てくる。こういう形でのみ発展すると、街やその周辺は、通り一辺倒になったり、どこの街に行ったところで同じ景色ばかりになってしまう。

それを盛り上げてその周りを盛り立てるのか。その周りにあつまっておこぼれにあずかるのか。

 


大きな会社は、売りがあったり、その会社であるからこそ、他ではできない大きな仕事、チャレンジができたりする。だからそうしたチャレンジを目指してそこに入り、それを実践。そしてその何%かが次の価値を生み出す好循環に入れば、会社は安定的に存続する。

しかし、何らかの形でそうしたチャレンジが生み出せなかったり、もしくは、そもそもその会社の安定性にあずかろうとする者ばかりが集まれば、親のすねかじりではないけれど、やがてやせ細り、立っていることもままならなくなるというのは、想像に難くない。

 

だからこそ就活では、あなたが「うちの会社に入ってやりたい事」が問われ、「問題意識」を確認され、「いかにアクションしていく気概があるか」を確認したがる。

もちろん、最初からそれらすべてが完璧にできるなんて思っちゃいない。そうして確認して入社を認められた過去何百人もが、そうした確認にもかかわらず、いつしか安定、安泰に流れている現実があるのもまた事実。

初心忘れるべからず。その志をいつまで持ち続けられるか?そもそも偽りの志である限り、それはすぐに見透かされるも当然の事。