試算できていないモノ

 無駄だ無駄だと言われて手間を省いたり、手順を省いたり、そもそもの原価をコストダウンすることで日々商品、サービスの改革を図っている人がいる。

しかし時に、そうして手間も省けたものの、結果として、生み出す者の価値を大きく毀損してしまうことになるなんてこともある。

 普通は気を付けているはずなのだけれど、やってみて、売り上げが下がって初めて気が付くこともある。

 

それは要するに、そもそも価値を生み出していたところのコストを削減して、価値を毀損してしまったと言う事。ただ、それが分かっていなかった、多分多くの場合、計測することができていなかったと言う事。

 

すべてが測定できるとは限らない。何に満足しているのか、何に価値を見出しているのか、購入者、利用者すべてが、理解して使っているとは限らない。もちろん、サービス提供者、開発者の側も、全部を理解しているわけではない。

そのどこかで価値が生まれ、どこかで価値が認められ、それが商品の売れ行きや、サービスの人気となって反映される。だから、分かっていない者はより慎重に改善を進めるのだけれど、分かっている“つもり”で分かっていない者は、乱暴に変革を行ったりして一気にその価値を毀損してしまうこともある。

 

それが、見かけ上は「手間」に見えたとしても、それが「価値」を生み出しているとするなら、そこは削ってはならないところ。だが、見かけ上に騙されてしまう、本質を理解していないと、その部分を、コストダウンしたり、自動化しようとしたりする。

 

価値を生む手間は残さなくてはならない。だからそれは本質的には「手間」ではないはず。それこそが「価値」。そして厄介なことに、その「価値」が多様化しているんですよ、いろんな局面でね。

だからこそ、ニッチなビジネスも生まれ、だからこそ、マスプロダクションでは対応できないサービスもできる。

 

大量生産では立ち入れないサービス、製品、業種が出てくるはず。細やかに、ひとつひとつ対応しなければならない仕事が。