夢でなくなったのはいつの日か

私の子供の頃は、「テレビ電話」などというのはまさにSFの世界、夢のまた夢。さらに、壁掛けテレビ何て言うのも、遠い未来の商品…のはずだった。

 
ところが、今ふと気がついてみると、テレビは薄型。家庭によっては、すでに壁際にぴったり押し付けて/まさに壁にかけて、壁掛けテレビに。
テレビ電話はというと、10年以上前にケータイなどで荒ーい画面で始まったかと思うと、あれよあれよと言う間にさまざまな通信方式で競争、普及。画面はPCだったりタブレットだったりするものの、今や普通に相手の顔を見ながら通話していたりする。おまけに、ネット通信量(月定額)の範囲内でやっている場合は、意識としては無料と等しい。いったいいつから使っていたのか忘れるくらい、今では当たり前に。
 
未来だと思っていたらそうではなくなっていた。夢ではなくなっていた。チューブ内を走ったり、宙に浮いた車は実現していないけれど、無人運転もそろそろ実用が見え始めていたり。
 
あと20年もすれば、車の何割かは完全ではないにせよ、自動運転になっていてもおかしく無いだろう。
とするなら、たとえばその先、タクシーだって無人タクシー(個人タクシーじゃなくて笑)が存在する世界になるかもしれない。最初は道端で手を上げて無人タクシーはひろえず、必ずステーションで、と言った形かも知れ無いけれど、それでも格段に便利に、かつ安全?になるだろう。
 
つきつめてゆけば、人がそうなりたい、そうしたいという想像力が枯渇した時、行き詰まった時が終点に。
裏を返せば、我々人類はどうなりたいんだろうか?もちろん、世界中でコンセンサスが一致することはないだろうけれど。何らかの形で大意を整える動きってのはでるのかな?国を背負って喧嘩できる/する準備が意味あるほど、地球は広くないはずなんだけど。