not◯◯でないとやっていけない
じぶんたちはこれまで○○でやってきたがもう限界。これからはnot○○で行こう!
こんな風に方針転換する組織、チーム。あるのではないだろうか。自分の経験としてはないけれど、チラチラとあちこちで見聞きする機会が。
ところで、この時、本当にその「not◯◯」でいけるんだろうか?
「これまでやってきた○○で行き詰っている。」のは、多分事実だ。だから何らかより今以上に稼ぎが出る、行き詰まりの少ない事をしていかなければ、ビジネスとして立ち行かなくなる事態なのだろう。他に行かなければいけないと言うのは一つの可能性だ。
しかし、だからこそ「not○○で行こう」は飛躍がある。
まず、「○○で行き詰っている事」は、「not○○で行き詰らずに行ける事」を何も保証できていないのではないだろうか?市場として「○○」の外側は「not○○」であるが、できる事としての事象として、外側事象を保証してはいない。わかっているのは、現状ではダメだった事のみ。
こんな時に使われる手段が、実現可能性検討とか、カタカナ好きな会社では、フィジビリティスタディといった言葉。要するにできる可能性、見込みを検討するということ。
ボンクラ上司がいたりすると、勢いで引っ張られたりするけれど、そうしたところをきちんと押さえて進めてくれる人、進んでくれる人がいないと、その下になった人たちは路頭に迷いかねない。
時代が、全世代、全国民を押し上げていた高度成長期には、ボンクラ上司の下であっても、世間全体が押し上げられてきたから何とかなったけれど。今やその上司の質によって、上に行けるかどうかが左右される時代。
上司は選んだ方がいい。親じゃないんだから。