たぶん、掛け算で決まる

当たらないコンテンツがある。売れないコンテンツがある。

音楽にせよ、演劇、コント、漫才、ドラマ、映画…。日々新たなコンテンツが作り出され、消費されていく。

 

コンテンツに対する満足度は、一部の例外があるにしても、たいていは

[受け手の興味] x [送り手の情熱]

によって生み出されることが多いのではないだろうか?

この両者を掛け合わせたものとして、受け手の満足感が決まってくる。

 
受け手が興味のない物であっても、送り手の情熱で見せられる、という人もいるかもしれないけれど、そもそも、「見てもらうチャンス」が巡ってこない場合がほとんど。情熱だけでは届かないのだ。
受け手が興味があってみてみたとしても、送り手側の情熱が薄れていたり、そもそも十分にお金をかけられない状況になっていて、もうこれしかしょうがないよね、といったモノづくりになっている時には、やはりそれが伝わるモノ。いまのテレビ業界の多くがここに陥っていたりはしないか?
 
これ以外に、[受け手の期待]、というハードルがある。
そもそも期待していないものは固く門戸を閉ざしており、ハードルの高さとしては無限大。それに対して、ちょいと期待してみるが、最近面白くないでしょ?という認識がある場合、けっこうハードルが高い。が、これを飛び越えさせるのが「送り手/作り手サイドの情熱」であり、おーがんばってる!とわかれば、再びコンテンツの前に舞い戻ってきてもらえることも。
 
…だとするならば、「送り手側」は自分たちの意思によってコントロールできる。だが、「受け手側」の意思は、いったん外れてしまうと、下がってしまうと、もう一度呼び戻すには、莫大なエネルギーがかかるのは目に見えている。
だから、次から次へと、より面白いモノ、楽しいモノ、刺激ある事を考えていかなきゃならない…ってのは、けっこうな大仕事なんだよなぁ。