高邁な理想という目的

それは目標でなく、目的

言ってみれば、「ガンダーラ」。どこかにあるユートピア
どうしたらいけるのだろう、教えて欲ーしい♪  ってヤツだw。
 
高邁な理想を馬鹿にする人がいる。
「そんなこと言ってたってしょうがないだろ、無理無理」
確かに、簡単にはいかない。すぐには無理なのは承知の上だ。
「だからやめとけ、もっと現実味のある目的を」
そうして目的の位置づけを下げさせる人がいる。
だがこれこそが危ない。
 
実現しがたい理想があるからこそ、人は常に努力し続ける。その理想郷に向かって頑張り続ける。これが、1年や2年で手に届くモノだとしたら、2年後にその理想を手に入れた際には、さて次はどこに行くのか?
「そうなったら、その時に次の理想を探すのさ」
こういう考え方もあるかもしれない。が、そこまでで実現したものと、次のゴールと、同じ方向でつながっているだろうか?もしかすると、ジグザグに動いていくことになりはしないだろうか?
 
だから、1年や2年で手に届くのは「目標」であって「目的」ではないはず。高邁な「目的」は打ち立てられても、高邁な「目標」はない。
目的と目標をはき違えないこと、ここからスタートしたい。