何のためのコスト削減

さて、今のプロセスでの仕事のやり方がベストなのか?それともまだまだ無駄が残っているのか?どうやって判断するかだ。

 

もしも今のプロセスがベストであり、代替作業や、工数削減をすることが、実は品質低下につながるとしたら、それは基本的にやってはならない事。いや、品質を下げたいのなら別だが、普通はそんなことは考えないだろう。

 

しかしたいていの職場では、「まだサボっている、手を入れられるところはあるはずだ。効率化できるはずだ。それはどこだ?」という形で、効率化を目指す。工数削減を目指す。コスト削減を目指す。

 

もちろん、技術革新や、手順のコペルニクス的転回による革新により、突然コストがガッツリ下がることはあり得る。が、本当にどう絞ってもこれ以上削減できないでしょ?というところを無理に効率化(という名目の改悪)を行うと、当然ながら品質が下がったり、仕事が破たんしたり、無理を引き起こす。

さてこの違いをどう判断するのか?出来るのか?

 

無限にコスト削減ができるなら、いずれすべての作業は無限に短くなり、コストは限りなくゼロに近づくはず。だが、それは物理的に無理だ。

だとするなら、コスト削減はある限界まで来ると、それ以上先には進めないのは自明の理。だからこそ、最後のコスト削減までしてしまうと、すでにその時点で、次の競争のタネを作る事はできなくなってしまう。

コスト削減は何のためにやるのか?手間を省くのは何のためにやるのか。もちろん、最初は対コスト競争の側面はあるだろうけれど、どこかでシフトチェンジして、次の価値作り、次の仕込みに回さなければ、自ら倒れてしまう。

 

でも、サボっている人を見つけちゃうと、コスト削減に走るのが管理サイド。ここで信頼関係が崩れるんだよねぇ。性悪説に走っちゃう…。

やはり、社員は社員、経営者は経営者で、いい人に巡り合うしかないのかなぁ。