世代で括ると大雑把ではあるのだが

たぶん、現在の50代以上の世代の大半は、受け身世代。周りから提供されれば受け取るが、自分からは案外探しにいかない。もちろん、よほどの欲求があれば別だが、それ以上のモノは、誰かから提供されるのを待っている。いや、俺は違うよと言う人がいるのもわかっている。が、子育て等も終わり、やっとひと段落して大きく息をつき、ちょっと休みたい…という時に、「向こうから心地よい何かが流れてくるもの」には逆らわないと言う感じ。

 

他方、たぶん今の30代から下の世代は、結構自分から「取りに行く」世代。自分たちが欲しいものは何か?

取りに行き方も知っている。ネットがこれほど発展し、スマホをはじめとする道具が巷にあふれ、やりたい事、知りたい事で満たすことが可能。

もちろん、結婚して、子供を作って、かつての世代が描いた「家族」を構成していく人もいる。が、自分で自分のやりたい事をやろうとすると、「できる時代になった」ことで、これまでとは大きく価値の構成バランスが崩れ始めているんじゃないだろうか?

 

携帯電話が普及し始めたことで、個人が自由に動き回れるようになり、インターネットが普及したことで、個人が欲しい情報が“怒涛のように”流れ込む時代になった。

情報に押し流され、情報の流れに飲み込まれる。

が、「世間の意識」はそれ以前のまま、価値観はそれ以前のまま。

 

価値を構成する構造が変わりつつあるのに、意識の上に構成する価値観は昔のまま。そうした文化感、価値観を肯定するルール、法律は当然、現在に追い付くにはかなり時間がかかるのは言わずもがな。

 

場合によっては大きくルール替えが必要なこともあるけれど、以前の価値観で来た人々は、がらりと変わることに拒否感も示す。

そして徐々に変わりつつある、変えつつある。

 

より、便利な方向へ、より楽な方向へ。

ただし、楽だけではなくて、気づかなかったリスクについてどうするのかを、為政者にのみゆだねているだけでよいのだろうかと。結果として、何か大きなものを失っているヤバさ、危険な匂いはしていないか、と。