楽観的に、

私が知っている某マネジメントは、こういった。

リーダーたる者、「ネアカ」でなくてはならない、と。

 

ただ、そのマネジメントが活躍していた時代と今は、大きく環境が変わった。みな励まされ、ポジティブに振る舞うように指導され、本当につらいことを押し付けられたとしても、積極的に捉えよと叩き込まれる。

そりゃぁ心も壊れるだろう。

 

私は思う。

楽観的に、暗くなれ。

世の中、暗い事がいくらもある。経済的に恵まれている人ならともかく、いくらインフレに傾けようとしても、「物価」は上がるが「給料」がそれに伴うほど上がった実感がない人の方が多くないだろうか。

でも、生きている。毎日働いて仕事をして、厳しいながらも生活が続いている。生きていけるこの世界を見据えて、無駄遣いはせずに生きていこうよ。

 
今はみな、悲観的に明るすぎるのではないか?
投げやりになり、刹那的になり、暗くなるよりは明るくなった方が…てな考えで、考えずに行動する。バカな事すら、その瞬間楽しければいいかと諦める。
それはともすれば、どうでもいい、につながりかねない。そんな行動、施策、活動が、その先をもっと荒れたものにしていく。
政治家なんて、どうせ誰がやっても同じだとか
今更私一人が言ったってとか
どうせ考えたって変わりゃしないとか
悲観的な未来を考えるのが嫌で、明るく振る舞うことに終始する。
それ自体が、悲惨な未来へのパスポートになっていないか。
 
明るいことがいいことだ、明るく振る舞う事こそがいいことだ。
もちろん、明るいに越したことはない。が、本当に明るくないなら、そう態度に出したっていいじゃないか。明るくないんだから。厳しいんだから。
本当のことが言えなくなったら、心を吐き出せなくなったら、みんな壊れていくんだ。
 
だから、楽観的に、暗く…。