コンテンツが欲しいんじゃなくて
実は昔から、コンテンツをどうビジネスに結びつけるか、ということを考えてきた。いろいろと議論し、当時は仲間と話し合ったりもした。それがもとでいろんなつながりもできた。今でも続いているつながりもある。とてもありがたい。
仕事が変わり、直接的にそんなコンテンツとのかかわりが変わった。が、ふとしたきっかけで、また以前の思いがよみがえってきたりもした。
そこで気が付いたことがあった。
私は、「コンテンツを手にしたい」んじゃなくて「コンテンツを、その自分が見聞きしたい時に、遅れなく見聞きできる“自由”が欲しい」んじゃないだろうかと。
もちろん、コンテンツは見たい。それは本であり、テレビ番組であり、音楽であり、映画であり雑誌であり。その情報を元にして、友人と話し合ったり、思い出として語り合ったり、「あれすごかったよね、見た?」なんて話題にしたりしてきた。
本を手にするのは、中身を知りたい、読みたい、と同時に、ふと思い出した時に、おもむろに手にしたいからではないか。だから、図書館で借りるのもいいけれど、やはり何度も見返したい本は手元に置きたい。
音楽を購入するのは、これも何度も聞きたいから。自分の気分に合わせ、盛り上げたいとき、シンミリしたいときに、その音楽をすぐに引き出せる。
テレビ番組や映画が見たいのは、その時間には別の用事が入っていて合わないけれど、でも、ちょっと時間をずらしてみたいから。だから留守録が開発され、最近はほぼ見ない番組も含めて全録までできる時代に。
だから、時間と言うどうしてもとどめようのない事に対して、すこしでも自由に振る舞えるように、自分のやりたいタイミングでできるように。そのコンテンツが見たい、聴きたいと思った時に見聞きできる、自由が欲しいんじゃないだろうか?