そこがゴールじゃ近すぎる

大学入試は、「その大学に受かること」をゴールにしちゃいけない、とはよく言われること。なぜなら、その大学にもしも入れたとしたら、その瞬間に、その先、何をやっていいのか、やるべきなのかがなくなってしまうからだ。「受かる事」がゴールでは、その後に走り続けられなくなる。

 

陸上競技短距離走を走ったことがる人ならわかるだろう。彼らは、「ゴール」を目指して走り、その「ゴールテープ(100mなり400mなり)」を超えた瞬間に、そこからは惰性で20mー50mを堕走する。だからその超えた20mなり50mなりは、走っているように見えて、力が抜け、一生懸命走るところとは全く違うことになる。

 

 
これに似たロジックで、結婚があるような気がしている。
結婚を目指した活動、婚活では、多くの人のゴールが「結婚すること」になっていないだろうか?
その先にも何かを設定しなければ、たとえ結婚したところで、すぐに空中分解しそうなことは、想像に容易い。
分かりやすいのは子供ができる事。これがあれば、子供はある意味自動的に約20年分、さまざまなイベントを生成する。めんどくさくもある、が喜びもある。それをこなしているうちに、やがて家族が「家族」になっていく。
 
出生率が下がっていると言う。婚活という言葉は、もはや日常語になりつつある。就活もそうだろう。だが、婚活にせよ、就活にせよ、結婚を、就職することをゴールにしてしまっては、その後は惰性で動きだし、走り続けるには辛すぎる距離が残っている。
その先に何か目標を、その先の目的を。
それが、会社の方向性と違うなら、そこに就職しない方がいいかもしれない。それが、個人の幸せとしてそりが合わないなら、一緒にならない方がいいかもしれない。
 
決して結婚を否定するつもりもないし、就職を否定するつもりもない。
けれど、自分の価値を、自分の行く末をきちんとイメージできていれば、たとえ結婚しても、たとえ就職しても、その方向に走り続けられる。
 
惰性に流されること、考えずともベルトコンベアのように「どこか幸せな方向に」運んでくれると「思い込んでいる事」で、ふと気が付くと、もう戻れないところに来る前に。
自分のゴールを、先のゴールを。