お誕生日会に贈りもの

自分の小さいころの事は覚えていないかもしれないけれど、ドラマや映画でこういうシーンは見たことがあるだろう。

小さい子供が、自分が大切にしているお菓子、キャンディーなどを、残念な思いをしている目の前の大人にひとつ恵んであげるシーン。

「これ、あげる。おいしいよ。」

小さな子供の素直な慰める心が、大人の心にしみるシーン。

 

小学生の低学年の頃、友達のお誕生日会に誘われて、さて何をプレゼントに持っていくか、なんていうシチュエーションは今でもあるんだろうか。たぶん、かなり大人が介入している感じもするが。

こんな時、子供だけで考えてしまうと、「何をプレゼントにあげるとうれしいだろう?」という想像から、「自分がもらってうれしいのは…」という感覚で考えがちだ。

 

だがそうして選ばれた「自分が欲しいと思うもの」は、必ずしも相手がうれしいモノとは限らない。子供として残酷なシーンの一つは、「プレゼントォ」と差し出したはいいけれど、相手があからさまに「こんなの欲しくない…」と顔色に表したり、直接言葉にした時。

 

価値は、それを手にした人が「これはありがたい」と思ってもらってこその価値。だから、自分としては無理に大したことをする必要はないのだ。相手がどう思ってくれるか。相手からすると何が価値なのか。それを慮ってこその価値。

そういう、誰かが必要とする価値を生む力が何かあるのか。そしてそれが今のその場所で価値を生んでいるのか、そうではないのか。どこでその価値は認められるのか、どこでその価値が評価されるのか。そうした視点と評価軸を常に持ち続ける事こそが、自分の価値。