見かけの構造

ドイツと言う国の調子がいい。

とはいうモノの、ユーロ経済圏の全体としての調子は今一つ。

いろんな経済学者がいろんなことを言っているけれど、あれは、ユーロ圏の中において、ドイツが本来、一国で背負わなければならない重荷の責務を、他の国に押し付けているから、というのがもっぱらの分析。いわゆる「ユーロ圏」という国のなかで、貧富の格差をつけ、金持ちとそうでない者に分けることで、金持ち組に入った人が恩恵にあずかっていると言う事かも。

 

アメリカも一時似たようなことが言われていた。

自国の中に格差をつけることで、その差が原動力となる。来年の大統領選挙に向けて一部の候補がぶち上げている。全アメリカ国民の0.1%ほどが、その他80から90%の国民の総所得と同じだけを手にしているこの格差が正常であるはずがないではないか、と。

 

そしてここ10年。そのアメリカの後を着実にトレースしている国が、同じような状況に巻き込まれているように見える。

正規社員が相対的に減り、変わって非正規、一時雇用、いわゆるアルバイト的な働き方が蔓延し始めている。企業としては願ったりかなったり。いままで、雇ったはいいが、正規社員にしてしまうと、事業の調子がよろしくない時に、それらが重荷になってうまく立ち回れなかったところを、非正規化することにより、雇用の調整弁よろしく扱うことができる。

こうして、正規でい続けられる社員と、そうでない社員の間に格差が生まれ、それが働く力を生み出すことになっている…と信じている。

 

しかし、結果、非正規の手当ては生活に必要なギリギリに近い水準であり、正規でさえもが、さほど恵まれた形で回っていない状況。

いつまでリンクが存在し続けるのかわからないけれど、ネット上の週刊現代が「フザけるな!公務員だけが「幸福」になっている~下流社会化が進む中、「上流役人」が急増中だと!?」と銘打った記事を載せている。

gendai.ismedia.jp

 

見かけ上の構造に翻弄され、「今」をなんとかする事ばかり語られる昨今。もちろんそれも喫緊の大作が必要なのだけれど、それのみならず、30年後をどうするのか、どんな形に、どんな未来にしたいのか。そんなことを語る、想像できる政治家は出ないもんですかね。

未来に希望がない世界に、発展させよう、頑張ろうという原動力を生み出す力はないと思うんですがね。

くしくも、そんな未来だった「昨日」が、またひとつ、過去になったりもした。BTTF。