非正規化

社員の正規雇用が減り、非正規社員が増えていると言う記事を見かけることが増えたこの10年。

それにより、それ以前の30年で作り上げられた、人の人生テンプレートは通用しなくなり、夫は会社で妻は家庭で専業主婦、なんていう昭和のイメージを抱くような働き方、生活の仕方では回らなくなりつつある昨今。

 

当然ながら、それにより経済が影響を受ける。女性がどんどんと働き始める。子供の教育環境も変わりつつある。

だが、そもそも非正規化が進むことで、安定した未来を描いたり、蓄えを積み立てる形ではなく、その場その場、刹那的に社会が動き出す。

当然、「子供」などと言う、長期にわたって“めんどう”がかかる事象を抱えると、万が一の時にどうしようもなくなると考える人が出ても不思議ではない。社会構造が非正規化に向かう、人の雇用を今まで以上に流動化できるように、金銭解雇がこれまで以上に横行しだせば、当然ながら個々人は、それに対抗した手段を講じざるを得ない。

 

子供は産みなさい、増やしなさい。でも未来は安定しにくい、保証などされにくい社会構造です、というのは、政策として矛盾していないだろうか?

もちろん、だからと言って個人の甘えを国が支えるのもおかしな話。制度と実体とが5年から10年?いや20年ほど乖離しているところからおきるこんな事象

 

でもこうして生まれた歪みはたぶんそうそう解消されない。その一つとしての社会構造の二極化であり、対立構造を生み出す。そしてその間に争いが起こり、分裂や戦いが生じる。

エゴをどこまで認めるのか。努力をどこまで認めるのか。

結果だけでもいけない。プロセスだけでもいけない。努力だけでもいけない。アイデアだけでもいけない。

こうして、永遠に評価軸を探し続けるということが、考える葦なのか。