道具、使われ方

道具があるから、それを使って「こうしよう」「こんなものが作れるかも」という考え方が出てくる場合。

道具ありきで創造性が膨らむ。こんなことできるかも?あんなこともできるようになるのでは?さまざまな未来が広がる。

 

「こうしたいんだ!だけど、そうできるような道具がない!」というところから、「…ならその道具を作ろうじゃないか!」と道具を作り始める場合。

この時にはそもそも作りたいものがある。が、今存在する道具ではどうしようもない。だからそんな○○を可能にする道具を作るのだと、道具作りを始めていく。

当然、その道具ができたところからは、それによって「本来作りたかったもの」へまい進する。

 

前者は、想像が膨らむ。そして、まさにそういう道具が欲しかった人に発見されると、そこから先が一気に広がったりもする。もちろん、道具によって創造性を掻き立てられる人が出ることにより、思いもよらない未来へと転がり始めることもある。

だがたぶん、一般的にはこの前者(まず道具がありき)の場合、その他の展開に広がらない事が多いのではないだろうか?汎用性の高い、かつそれまで多くの人のブレークスルーになっていたところを突き抜けるような道具によって、物事が便利になる、進歩することはもちろんあるモノの、それはたぶん、後者(道具が欲しかった人)の目にとまって使われることの方が多いはず。

 

何が作りたいか?どうしたいか?後者の場合には目的が存在する。そしてそこに至るための障壁として、道具立てや技術といった壁が立ちはだかる。

だからこそ、場合によっては「作りたい事はいったん横へ置いておいて」、その壁を取り壊す道具を創り出す。壁をどうにかしなければ話が前に進まない。

もちろん、多くの人はそうではなく、迂回策を検討する人もいる。だがいくら探しても迂回策が見つからない場合には、あきらめるか、壁を打ち破る/乗り越えるしかない。それでも立ち向かっていく人、無謀に見えてでも挑んでいく人。

そこには信念があり、信じる者があり、行きたい方向、行き着きたい先が存在している。誰がなんと言おうとそちらに向かう。自分を信じて、ずっとそれを考え続けて。そして、そういう何かを目指している人の目の輝きは、とても力強く、美しかったりもする。