余裕のないところ

昨今は時間の制約が、仕事にしろプライベートにしろ非常にタイトになってきている。

常に時間に追われ、目の前に積まれたノルマをこなす。

ヘトヘトになって帰宅する。

泥のように眠る。

そしてまた、次の日に、ギュウギュウの交通機関に押し込まれて次のノルマをこなしに行く。

そんな中に、創造は生まれるのだろうか?

 

いや、工夫している人もいる。が、それはたぶん「まだ余裕がある人」ではないだろうか?統計的裏付けを持っているわけではないけれど、昨今のブラック企業、ブラックバイトの話などから感じるのは、そうした「余裕がある人」が減ってきているだろうと言う事。だからちょっとしたことでイザコザが起き、ギスギスした印象を受ける。

 

いや、国として、人として、「頑張らねばならない時期/状況」であることは認識しているつもりだけれど、しかし本当に頑張れる人と、限界にきている人の差がはっきりしはじめているのではないだろうか。場合によってはすこし扱いを考えた方が良い時期に来ているのではないだろうか?

ただほっておくと、その結果として、一部の選民のみが「公務員と企業正社員」になり、それ以外は皆、景気のバッファ、バイトと非正規に成り下がる、と。

「今の公務員、正社員」は、「今の競争の中でその地位を勝ち抜いた」のではなく、ずっと以前の環境でそのポジションにたどり着いた人。こういう状況自体が、結局運任せ、モチベーションの低下へとつながることにも。

 

というのを前提にすると、「一億総活躍社会」などというのは、単なるスローガンであって、とてもできるとは思えない。意味のある活動が見えてこない。自分たちへの復活の可能性のカケラすら感じられないしなびたコピーに見えて仕方がない。

 

厳しい未来を見据えて、どう余裕を生み出せばいいのか。

もしかして日本で今まで一番染まりにくかった、思想的意思の出番なのかなぁ。