リスクを取ら/れない時代

リスクが高まることを受け持てないとなると、当然ながら身軽な方がいい。いざという時には安全な場所へ、安全なところに素早く動けるに越したことはない。

 ならば、余分なものは持たない方がいい。一か所にこだわらない方がいい。

 

持たない時代。ついこの前までは、不動産、借りるのがいいのか持つのがいいのか?なんていう特集は、雑誌にせよWebにせよ普通に出ていた記事だ。が、実際、首都圏ですら空家率が上昇し出し、それまでは税金の関係で居住人がいない空家もそのまま放置されていたりしたところが、公的な力で強制撤去することも可能にしつつある現在。明らかに需給のバランスが崩れ、借り手有利に見える方向に歯車がジワリと動き出している。

それまでは、「家を買えば耐久消費財も」という形で消費刺激できていたところがそうではなくなりつつある。

ひと昔前なら、車もステイタス。持つこと、ミエが重要だった時代。でも今やどの車のデザインも結構似たり寄ったり。いや、自動車会社が頑張っている今年の東京モーターショーもあるけれど、そこにお金を使えるほど労働者に還元していないことで、持つほどの余裕がある層はどれだけいることか。

結果として消費側は「シェア」を選ぶ。持つことのリスクを取るより、必要な時に使える(裏を返せばいらない時には切れる)利便性を取る。何のことはない。企業が派遣社員を増やしているのと考え方は変わりないではないか。

 

こうして当然ながら、傾向としてチャレンジや冒険は避けざるを得ない。いや、避けると言うよりも、立ち向かえる力を奪い取られているのだから対峙すらできない。

 結果「今のまま」ということこそが一つのステイタス。この現状のままこれからもずっとい続けられるなら幸せ。 

そんな世界が広がっているんじゃないだろうか。