変人で終わらせないために

偉大な賞を受賞した人の過去の逸話を聞いてみると、けっこう不思議ちゃんだったり、個性の強い人であると言う事が取り上げられることもある。そうでもなければひとつの事を突き詰めたり、偉大な業績につなげられるわけもなく、当たり前と言えば当たり前。

ただ現実はと言うと、何かにこだわったり、ひとつことに打ち込んでいる人を評価する人、できる人は少ない。大抵そうした人を取り巻く噂の多くは、「変わった人」というレッテル。

 

しかし、偉大な業績を上げた過去の偉人は、見かけとしてはたいてい変わった人であったはず。とするなら、その人が変わった人で終わるのか、世界を変えるほどの偉人に変われるのかは、その「変人」を理解してくれる強力な理解者に出会えるかどうかにかかわっているだろう。

 
たとえば、スポーツの変人は分かりやすい。見ればわかる。超絶技巧をできるという打ち込み方は、それがそのままアピールにつながる。
だがそれ以外の多くの分野では、いかに見せるか、理解させるかがカギになる。突き詰める事と、それを「いかに簡便に」価値を理解してもらえるように周りにアピールするか。
なので、一つの成功事例としては、アピール上手な理解者と「変人」が組むこと。でなければ、「変人」がアピール上手になる必要がある。これがかなりハードルが高いのだが。
 
変人で終わらないためには、アピールしなければならない。
でも、アピールする変人も、もっと変な人と捉えられる社会環境だったりすると、目も当てられないけれど。