コスパ
昔の東京の人は、「これ高かったんだよ」と高いモノ自慢をしていたイメージがあり、逆に関西の人は「これこんなに安いのよ(でも素敵でしょ?)」と安いモノ自慢をしていたイメージがあるのだが、いつのころからか、みんな「安い」という価値観に統一されようとしている気がしてならない。
象徴的な言葉がコスパ。
コストパフォーマンスがいいか悪いか?を、略した言葉だ。
値段の割に、味が良かったり、機能が多かったりすると、コスパが高い。その逆はコスパが低い。
しかし。
「コスパ」と言った言葉で語れる時点で、本質的に必要ないものだったりしませんか?
本当にそれがなければ生活が、商売が成り立たないとなるならば、コストパフォーマンスとか云々することすらできず、高くとも絶対に必要なわけで。
そう考えると、コスパを考えるべき状況にあるうちは、まだ余裕がある、少しでも満たされている時期なのかも。それすら考えられないようになって、ギリギリの状況に追い込まれたときには、コストパフォーマンスとかそもそも言えなくて。
「いや、もう手元に1000円しかない。一番効率的に使うには?」
と言った、事実上、コスパを考えている時もあるけれど、そんな言葉より目の前のことに対してどう振る舞うかに集中せざるを得ないでしょ?
だからこそ、パフォーマンスが語れる時期に、次の余裕を作るための新しい事、新しい仕込をしておかないと。パフォーマンスをすべて効率に使い尽くした後には、何も残らないんじゃないだろうか?
パフォーマンスを語れる時期こそ、実は次の仕込み時期、新たな価値を生む出す時期だと認識して。