物理的、心理的

みんなと大勢の中に一緒にいても、何か取り残された感を感じる時はないかな。

たとえば知っている人がほとんどいないパーティーに誘われたのはいいけれど、誘ってくれた人は忙しくて見つからず、喧噪のなかにぽつんと一人…とか。

 
反対に、たとえ遠く離れたところに一人でいたとしても、みんなが一緒にいてくれていると感じたことは。どうしても一人でそこに出かけなくちゃいけない破目になったんだけれど、来る前にはみんなに励まされ、頑張れよ、遠くで祈っているからなと励ましの言葉をもらい、肩をたたかれ、ハグされて出てきた。だからどこに居たって、よし、やってやると力が湧いてくる。
 
 
みんな、物理的なひとりぼっちばかりを対象に、ぼっちぼっちと一人を揶揄したりするけれど、本当はそうでは無くて。心の、心理的なひとりぼっちのほうが、深刻な心配すべき内容じゃないだろうか。
 
仲間がいるというのは一人じゃないということ。たとえ結婚していたとしても、互いの関係がうまくいかなくて、心理的にはひとりぼっちで寂しく感じている人もいたりするだろう。物理的な仲間ではなく、心理的な仲間。
もちろん、物理的な本当に気心の知れた仲間がいれば、心理的にも安心できるところもあるんだろうけれど、昨今は、そうした心の中を吐露しやすく、できやすい環境もあったりする。
それを補完してくれるような仕組みが、昨今のソーシャルネットワークSNSであり、それで満たされている人もいるはずで。それをリアルと見るのかヴァーチャルと見るのかは人それぞれ。
ヴァーチャルでしか付き合っていなくても、いざ、じゃあオフ会でもやってみましょうかとなった途端に、本当に大勢が集まってきてびっくりするオフ会もあれば、誰かと二人だけのぽつんと集まるオフ会も。
 
物理的な賑わいは、周りからはうらやましがられるかもしれないけれど、それは、きっと心理的ぼっち感はないはずだろうなという思い込みからでしかなく。
逆に、心理的賑わいは周りからは見えづらく。引きこもっているようでいたとしても、実はネット上では大きな信頼を寄せられているマスターであることも。
 
見えるから信じられるのか、見えないところで信じられているのか。
やっぱり、当人が当事者意識を持つしかないんじゃないか。
誰かに言われる時代じゃないんじゃないかと。