失敗を「失敗」にするか否か

アベノミクスでは景気浮揚を後押ししようとしているけれど、一部の大企業で給料が、ボーナスが増えたくらいで、なかなか庶民には普及している感じがしない。

そんな中でも仕事をし、儲けを上げるためには、厳しいスケジュール、厳しいコスト、厳しい品質維持の上で仕事を回すことが求められる。が、当然厳しいそうした締め付けの中では、何かを守れないこともある。なんとか理由をつけつつ、言い訳しつつもやりきって仕事を終える。が、当初のそうした目標値はなかなかクリアーするのは難しい。

 

日本では、「とは言えやり切れればいいじゃないか」と考えるも、基本的には失敗だ。当初のスケジュール、コスト、品質のなにかが予定より下回れば、厳しいかもしれないが失敗。

 

だが、そこからなにを学び取るか。

失敗だから仕方がない、次から頑張ろう…はいいだろう。で、何をがんばる?精神論では仕方がない。失敗の原因は何か、要因は?どうすればよかったのか?その対策は打てるものなのか?しっかりと検討し、分析し、それらの対策が打ててこそ、次に同じような場面にあった時に違いが出る。

これこそが、失敗を「失敗にするか否か」の違いのはず。きちんと分析できるか。きちんと対策を打てるか。小さな違いのようで、それを積み上げている人とそうでない人の違いは明らかだ。

 

と、分かっていても難しい。

 まず、分析できるか、次に対策があるか、そしてそれを実行できるか、効果があるのか。