パッケージ化されたもの

喜び、悲しみ、幸せ…

これが「そう」ですよ、これじゃないといけませんよ。
こうした価値観に毒されていませんかね?
 
皆が興味があるモノに群がろうとし、皆が欲しいと思うものを欲しいと思わされる。
本当に自分が「それ」が欲しい、「それ」がいいと思ったかどうかとは別に、「みんながそれがいいと思っている事」を元にしてそれに群がったり。そしてそれを勘違いして「私もそれがいいと思っているもの」と思い込んだり。
 
モノだけではなく、喜びとか悲しみとか、あらゆる価値観をそういう形で麻痺させられていたりしないだろうか?いや、ビジネスを仕掛ける方とすると、そこに焦点を当てていたりする人も少なくなさそうだけど。
 
人から与えられた「喜び」パッケージ、人から与えられた「悲しみ」パッケージ。世間の目を気にして、世間の流れを気にして評価してみたり。自分でおいしいとおもえなくても、皆がそう思うならコメントを控えてみたり。みんなが面白くないと言うなら、自分は面白かったと思っても黙ってみたり。
誰かになびくのはやめて、自分に正直になる。パッケージに載せられるのではなく、自分の心に素直になる。
パッケージに載せられ続けていると、やがて、自分でそういう心を作れなくなりそうで。何が楽しかったのか、何が本当にうれしかったのか、なにが悲しかったのか。
いや、そいつに乗っかって、連れて行かれる心地よさってのももちろんあるにはある。それでもやっぱり自分で直接味わう機会は、残しておかないと。