「満たされる」とはどういう事か

おいしい食事を味わったり、素晴らしい観劇を見たり、感動するような芸術作品に振れたり、いろんなところで貴重な時間を味わうことがある。

 

あぁ、素晴らしい、と思う反面、さて、自分の満たされていると言う状態は、いったいどういう事なのか?とふと振り返り。

そもそも、どうなれば満足だ、という事があってこその満足のはず。それはイメージで言うと、ある容量の器があって、それが十分に足る量の内容物で満たされた状態かも、と。

だが、では食事の満たされるとは?単に胃袋の容量が満たされるだけではないはずで。雰囲気や空間、おもてなしもあるだろうし。観劇で満たされるとは?芸術で満たされるとは?自分にそもそもどのくらいの「満たすべき容量」があったのだろう?

 

よく、自分の目標を定めよと言われる。目標がない人は、大成しないなどと言う人もある。たしかに、目標を定めれば容量は決まる、ゆえにゴールは決まる。だがそれでいいのか?

この前提は、そういう意識を持たなければ、そもそも容量が小さすぎたり、容量が大きすぎたりして、すぐに満たされてそれこそ大成しなかったり、いくらやっても徒労感ばかりで終わりが見えなかったりする、だから、適切な指標で、目に見える適量の容量を定めよ、ということ。

とはいえ、では「どのくらいの容量に定めればいいのか」というアドバイスが無かったりする。子供向けならまだしも、対象が大人ならそんなことは自分で決める事ともいう。

 

だれもが大成する必要はない。誰もが大金持ちになる必要はない。「自分が満たされた状態になる未来を想定した器」を「自分の目安として決められるか」。それこそが自分の満たすべき目標で。

当然、いちどにそれがいっぱいになるわけもなく、毎年毎年それを少しずつ貯めたり、毎日毎日少しずつ満たしていく。その1日の量、1年の量があるとき急に満たされれば、それが満たされるということなのか。