情報は良く噛んで

新聞や雑誌、Webメディアなどが記事を書き、それぞれの記者や会社が、それなりの判断を述べたりする。事実を述べるだけのニュースと、事実に自分なりの解釈を付け加えた評論とがけっこうごちゃ混ぜになっている現在。

 

たとえば、新製品が出たり、新サービスが出たりすると、そうした情報を取材し、記事にして載せる。気になる最新のスマホだったりすると、みんなこぞってそれら記事を読みに来る。

だが記事によっては「期待ほど売れていない模様」などと判断されることも。

 

で聞いてみたいのだが。

それを作ったり、売ったりしている母体が言うならともかく、第三者が「期待ほど」とするのは、「誰の期待」なのかと。その母体組織に取材した際の、彼らが言っていた期待なのか?時に、その記事を書いている「記者の期待」になっていたりしないか?

 

期待は「誰の」期待なのか?

ふと読み飛ばしていると、自分の期待と方向性が、味方する向きがあっていたりすると、ついついサラリと流してしまいがちだ。が、そこには本来の主体があるはずだ。いつも自分の気持ちで読んでいると、自分と意見に齟齬があるときには明らかに引っかかるのに対して、自分の意見と同一ベクトルのモノを眺めた際には、スルリと抵抗なく飲み込んでしまう。しかしそれはあぶなくないか?

 

情報は、いったん客観視していかに自分用に咀嚼するか。噛み砕くのが優しいものほど、呑み込みやすい、理解しやすい。に反して、それは事実と異なる、自分の理想の方向、思った方向にばかり偏りやすい。

 

情報をきちんと味わう、噛み砕く。

そんなことはどこで教わるのかな?一度痛い目を見ないと、やけどぐらいしなければ、身につかないのかな。