撤退、出来ますか、って事は
何かをやめる、見切りをつける、撤退するということは、ことのほか難しい事で。
ずっと続けてきた嗜好品。健康のためにやめるというのは辛い日々を経る。
ずっと続いていた趣味の活動。たとえば経済的理由でやめるのは、何かが奪われるに等しい痛みを感じることもある。
活動が、行動が、ここで見切りをつけて終了となると言う時、そこには一抹の寂しさが漂う。たとえ周りから見るとつまらない事であったとしても、たとえ小さな行いであったにしても、それができなくなる、やれなくなるのは苦しいことだ。
そう、「ルーチン」や「習慣」を変える、変更することは苦しい。
違う言い方をすれば、見方を反転させると、何かをやめるということは、とらえようによっては、今までにはなかったなにかを「始める事」。その新しい価値をきちんと認識しなければ、新しいことは始められない。
そう、撤退は開始でもある。
と考えるなら、撤退できないと言う事は、はじめられないと言う事。無限に原資があれば、拡張拡大して始めることも無くはないけれど、それもどこかでかならず底をつく。次を始めるにはどうすべきか?
それが、お金なのか、資源なのか、時間なのか…。いろんな意味で、撤退が突きつけられる。そして、新たな開始が始まる。