わからないことと、知らない事

「なになに?それ?教えて教えて!」

興味を持つのは重要な事。だが、これだけネットが発達し、皆の手元にはスマホがいきわたり始めているこのご時世。「ググレカス」なる言葉があるくらい、まずは自分で探してみようという風潮もあったりする。

 

いや、いつもいつもまずは自分で、とは言わない。気心が知れた間では、ちょっとくらい教えてあげてもいいんじゃないか?という気ももちろん。

 

だが、これが仕事やビジネスとなると話は…。

本来、ちょっと気にかければわかるはず、30秒端末の前で手を動かせばわかるはずの事を、調べもせず、いや、知ろうとせずにいる人がいる。

 

この「知ろうとしない事」と「わからない事」を安易にごちゃ混ぜにして言い訳をする人がいる。手を尽くして知ろうと努力したが分からなかったことと、ちょいと検索を掛けただけでもそこそこの情報が出てくることを同一レベルで「わからなかった」と発現するのはどういう事か?

 

ある事象があり、それを「知らなけれ」ば、普通はまず「調べよう」とするはず。

そして「調べて」もわからなければ、その時点で「わからない事」になる。

 知らない→調べる→分からない

だが、かなりの人が

 知らない

の時点で、調べる術も試すことなく、分からないというのは、怠慢入ってませんか?

 

いや、こういうことを言ったところでそれに反論してくる、という時点でもう議論の余地すらなく。

 

それはある意味、きちんと状況を認識できているか否か。それに対して挑んでいるか、行動を起こしているか否か。

やれる事をやっているか?が常に問われていると自覚しなくては。