僕の普通

日本語を話せる自分が特別だと思っている「日本に住んでいる日本人」はまずいないだろうけれど。でも、海外へ転勤になったりして海外で済み始めると、途端に「日本語を話せること」が、そこでは特別なことに。(逆に普通の事ができない事が浮かび上がるのですがね。)

 

普通と言うのは、その場において、周りも同じことができると思われることこそがふつうであり、違うことができ、それに価値があると気づいた瞬間にそれが価値になり始める。だから、同じ場に居続ける限りは、今持っていない違う事を生み出さなければならないかもしれないけれど、場を変えれば、今持っていることそのままで価値を生み出すこともある。

 

a) そこでは価値がなくても、あちらでは価値があるこそ。

b) 逆に、そこでは価値が認められても、他では価値が認められない事。

 

ありていに言えば、リストラされてもすぐに次の転職先が見つかるのがa)で、今の職場で重宝がられていても、何かのタイミングではじき出された瞬間に次の職探しが大変なのがb)となる。

 

ということは、周りが認める自分の価値以前に、自分の持っている能力、実力を、正しく把握していることが大切で。

自分では当たり前と思っていることも、実は、だれかにとっては非常に大きな違いと思われることも。

 

違いは何か?違いを生む場はどこか?これが分かればそこをアピールするのか、そこを隠すのか。どこに向かうべきか、どこへ行くべきか、作戦がたてられる。当たり前だと思っているのは時には自分だけ。今の違いじゃなく、違いが生まれる場はどこかもふくめ、「違い」を気づく必要がある。

 

逆に、自分は違うと思っていたところで、周りから見ると大した違いがないと言うのは、価値がない。それこそ、そこをアピールしようとしたところで、そこは売りにはならない。

だから、「周りから見て価値があるモノで、自分が気づいていないモノ、事に気づくこと」こそが必要になる。「違いが出る場、違いが出る時間、違いが出るシチュエーション」に気づく必要がある。

そのために自分を知る、もっと言えば、「周りが価値を感じる」自分を知る必要がある。それは今身に着けている事なら場所を変える事だったり。今身に着けていないモノはもちろん学んで身に着けたり。

 

僕の普通は君の普通…とは違うかも。

ココの普通は、あそこの普通…とは違うかも。

今の普通は、明日の普通…とは違うかも。

どの軸をずらすか、どの軸上を伸ばすか。