行動することと、行動を指示することと

考えなくても行動できる人がいる。

正確には、たぶんその方は考えていないのではなく、自分の中で論理立てて説明できないかもしれないけれど、パッとわかってしまい、それにしたがって行動する。アクションが早く成果も生みやすい。 

そんな人は昇進しやすい。だが、昇進した後で差が出る事がある。

 

一つ上の立場に立つと、下についた者に対して指示を出さなければならなくなる。

それすらパッとわかって、だから「こう指示しよう」と行動できる人は、その立場からさらに次の立場に上り始める。

しかし、自分に対しては理屈がわからなくても行動できるけれど、それを誰かに指示するための情報を整えたり、論理立てて説明したりすることが苦手な人がいる。自分事なら理屈なく行動に移せたとしても、他人に指示を出すにはいつも理屈もわからず無理強いでは困る。こういった人たちは、その立場で停滞しがちでもあるように見える。

 

名選手は名監督になれるとは限らない。まさにこれと同じだろう。自分事ならばよいけれど、他人に指示を出すためにはそれなりにクリアーできなければならないモノがある。

だが、多くの現場では、「現場で優秀に行動できた者」を昇進させる傾向にある。が、これだけで本当に良いのだろうか?と思うことが増えてきた。

 

特に昨今、仕事も技術も非常に複雑になっている。アクションが取れる人ばかりが、行動して成果を残す人がもてはやされるのは分かるのだが、正確に分析し、正しいアドバイスや方向性を示したり、サジェスチョンを出せるような、アナリスト的ポジションがとても大切になっている気がしてならない。

そうして「頭脳」を使える「だけ」の人を重用する仕組みをあまり見聞きしたことがない。が、本当にそちらの才能が抜群に秀でた人は、その才能を引き上げるべきではないのか?

 

まぁ、そういう判断ができる人が育っていないからそういう人を重用できない、評価できないといった悪循環が、今の環境を形作っている元凶でもあるのだろうけれど。

 

とすると、やはり自分の長所、メリットをよく知り、それが使えていない人は、その場から自分で逃げ出すしかないのかな。正しく評価される場に移るのも自己責任…か。

己を知ることこそが己を守る事、というのは昔っからそうなのだけれど。