二つの方向

効率をあげるとか、パフォーマンスを上げるとか、昨今の仕事環境は非常に厳しくて。

 

「効率」とは、「ある一定のアウトプットに対して、どのくらいのコストを掛けられるか?」を競うことであり。それが故に、「今までと同じ価値を生み出すために、今までよりも短い時間」で対処できれば、それは効率が上がったと言う事。

なので職場では、仕事のパフォーマンスを上げよとか、早く帰れ(残業するな)などとコメントが飛ぶわけで。時間を短くして今までと同じ価値を生み出せという意味の指令が飛ぶ。

 

違うアプローチとしては、今までと同じだけの時間を使いながらも、今まで以上の価値を生み出す事ができれば、それはそれでパフォーマンスが上がったことになる。1時間で100円のモノを100個生み出せば1時間当たり10000円の価値を生み出したことになるわけだが、120円のものを100個生み出せば、12000円の価値を生み出したことになる。

 

これは二つの軸で「効率の良い方へ」向けるために、生み出す者の価値を高め、同時にそれに必要な工数を削減せよ、という、 二つの評価を同時に効率化に向けて一気に稼げという、非常に強力な変革を強いていることに。

 

時間を短くして今までと同じアウトプットを創り出すだけでも相当大変なのは、現場で働いていれば実感できるだろう。

と同時に、同じ時間で生み出すアウトプットの価値を、そんな急にあげることはできないのも言わずもがな。

 

二兎を追うモノは一兎をも得ず、ということわざの通り、多くの場合は疲弊して失敗することが多いのも当然。

だが、どちらか一方だけで、ほら出来なかったでしょ、と言い訳する生ぬるい現場があるのもよく知られている事。

 

本気でやろうとしている現場に、厳しい資本家の鞭が飛んで人が病む状況か。

生ぬるくやろうとしている現場に、ゆるい資本家がやんわり行って、結果が出ずに潰れていくのか。

 

労働者も、資本家も、相手を見ながらの腹の探り合い…ってのが、ここ10年、15年、続いているような世界に見えて仕方がないんですけどね。

落とし所のイメージが確立していないことで、真面目に言われた通り取り組んでいる人ばかりが、病んだり、潰れたりしていくのは、それ自体が社会的損失だと思うんですけどね。