想像力がなくなると
昨日あたり、というか、今週に入ってから街が喧しいのはいつものこと。
人によってはすでに先んじて休暇に入った人もいるのかもしれない。
このシーズンになると皆さん想像がたくましくなるらしく、人々それぞれが、かってな想像力で経済を活性化させる。未来への期待、楽しい、近しい未来への希望と言い換えてもいいかもしれない。
行動にせよ、仕事にせよ、いつもいつもこういった想像力が働く人がいる。
「あっ、これこうすると、もしかするとこんなことが起きる“かもしれない”から…」と先手が打てる人。
「こんなことしたら、こういう風に思う人が出る“かもしれない”な…」と、先が想像できる人。
これに対してこういう人もいる。
「これさえやればいいんでしょ…」
と、言われた作業のみ、言われたことのみを行う人。究極的に言えば、それ、ロボットができるようになった瞬間に、その作業はあなたがやらなくて済むようになりますから。
「その行動が影響する先」を想像できるかどうか。
そして、その想像した先における「事前対処」が打てるかどうか。
こうした「リスク予防」に対する想像力、そしてそれに向けた事前行動が打てる人でない限り、その作業、その仕事は、やがて何かの自動化に置き換えられることになる。
考える事、それに応じた行動をすることをしない限り、遅かれ早かれ、物事は機械や装置にとってかわられる。
誰もが想像しやすいことではなく、あなただから気づくことこそが「あなたの価値」になり。あなただから取れるアクションこそが、「あなたを評価する指標」になりつつあるということを理解できているかどうか。
皆ができる想像は、「想像としての価値」もあまり高くない。誰もが思いつかない事を創造/想像できる事。
ツリーの下に、枕元に、想像主は現れただろうか。