ソフトウェアの立場

インターネット以前(だいたい1995年より前くらいかなぁ)においては、ソフトウェアの地位はそれほど高くなかった。

今じゃ考えられないかもしれないけれど、一つのソフトウェアが640KB(いいですか、MじゃなくKですからMの1/1000)以下のサイズ程度で十分でしょ、と思われていた程度の時代。

それも、パソコン上においてであり、さらに組み込み系(いわゆる当時の家電メーカー)においては16KBや32KBというのは、もう、大きな大きなメモリー空間だったりした時代もあった(遠い目)。メガ、なにそれ?おいしいの?状態だったあのころ。

 

ところが昨今では、手元で使うようなスマホにおいて出さえ、メモリー搭載量は優に数GB(Mの約1000倍がGですから)であり、それこそ、写真1枚撮ったところで、数MBというサイズになるなど、昔のソフトウェアと比べるまでもなく。

 

もちろん、そうした規模の拡大に伴い、開発言語、開発環境等々の飛躍的躍進もあり。いまさらオブジェクト指向とかいう言葉など言わずもがなの状況で、エンジニアの皆さんがソフトウェアを開発している。前世代の巨人の肩の上に乗らずして、次世代のソフトウェアは成り立たない状況に。ゼロから創り出すと言うよりも、有りモノをどのように組み合わせていくかみたいなところが拡大してきた形。

やっと日本の組み込み系もソフトウェアの作り方が変わってきつつはあるものの、その環境は、ここ10年20年のソフトウェア開発の痛い経験を反映してやっと、という感が否めず。

 

しかしどうも、そうしたソフトウェアの津波が、日本の産業の最後の砦と言われる「自動車産業」にひたひたと近づきつつある。自動ブレーキあたりを皮切りに、言うまでもなく、自動運転が今見えている大きな頂に。

昔から、車関係のソフトウェアと言えばナビが思い浮かぶ人が多いだろうけれど、あれは、経路選択した情報を人間に提供する程度で、ハードウェアを動かすと言う装置との関連性は薄かった。

それが徐々にハードと関連しだしたのは、衝突緩衝装置。某社の装置の出来が非常によかったあたりから、このメーカーの売り上げが一気に復活したあたりから、ソフトウェアとセンサー、ハードウェアとのつなぎ方が非常に盛り上がり始めている。

 

もちろん、電気自動車の流れから、以前はなかったメーカーであるテスラモーターや、そもそも車とは関係ないと思われていたGoogleなどが自動運転などに踏み出していたり、Appleもしっかりと見据えているだろうと言われていたり。

 

ここで恐るべきは、さて、「日本」に、それだけのソフトウェア開発の体制や理解や運用ができるのか?対抗しえるのか?ということ。これまでの日本においては、組み込み系のソフトと言えば「電気屋のおまけ」という思想を持っている人が、かなり一掃されては来たものの、まだまだ会社に残っていたり。

そもそも、そういった考えの上司に育てられた今の管理職世代が、大規模ソフトウェアの創造に太刀打ちできる術を持つのかなど、立場はやはり危うい。

 

人口が減り、それでも今までと同じ生活をしようと思うならば、今まで以上に効率化したり、稼ぎを上げる、付加価値の高い仕事を、日本全体で運営していく必要がある。それに対抗しえるのか?「自分だけは逃げ切れればいいや」などと逃げられるのか?国民的意識改革ができなければ、国ごと「ゆでガエル化」しているのではと憂う。

 

新年そうそうこの話題から始める自分も自分だ…。