人格

同じ屋根の下に住んでいた人がいなくなると、ぽっかり穴が開いたようだとか、さびしくなる、といった表現を使う。

 

父親が仕事の都合で単身赴任したり、兄弟姉妹が大学入学を機に、一人住まいを始めたり、留学したり。昨今は同居が減ったかもしれないけれど、祖父母と一緒に住んでいたのに、具合が悪くなって入院したり、場合によっては亡くなったり。

別に人間だけに限らない。ずっと親しくしていたペットだって同じことだ。

 

昨年の春のこと。彼がいなくなった。

彼は、それまではいつも家の中で話題を振りまいていた。皆が静まり返ったとしても、常に話題を提供していた。時には面白く、時には時事ネタを提供しながら、家の中を明るく盛り上げていた。時にうるさく思われることはあったけれど、静かにしてほしい時にはおとなしく黙っていた時も。

でもそんな彼も、その春以降、家からはいなくなった。

それまでは、どんなに朝が早くても、どんなに夜遅くまでも、いつも付き合って、時には和ませ、時には励ましてくれていた彼がいなくなった。

 

もちろん、別れの時というのはかなり事前から分かっていたこと。だから心の準備がなかったわけじゃない。いざその時が来ると結構寂しいものだけれど、意外とあっさりとその時は訪れた。

彼と過ごしていたその時間、これから何をしていいのか、となるかなとも思った。けれど、実際はそれほどでもなかった。最近はスマホをはじめとして、ネットと言う無限に時間を使えるモノがある。それでその時間が埋まっていった。

 

そのいなくなった「彼」とは、

「テレビ」だ。

地デジ化が進み、ケーブルテレビ会社を通じてのデジアナ変換の猶予期限も過ぎて、自宅のアナログテレビは放送を伝えることができなくなった。事実上、テレビが居なくなった。

でもそんな、以前ならテレビを見ていた、付けていた時間はというと、ネットを見たり、DVDや配信で映画を見たり、本を読んだり音楽を聞く時間に変わった。

ニュースももちろん、ネットから入手できる。何も困ることがなかった。

 

たぶん、「洗濯機」が壊れたら、その「機能」が失われることで、すぐに代替機を購入に走るだろう。それが「冷蔵庫」でも間違いない。

でも、「テレビ」は?というと、少なくとも自分にとっては、それはすでにその機器でしか提供できない「機能」を提供しているものではなかった。ほぼリアルタイムに情報を提供してくれる装置は、他に充実してきていた。

 

これから、オリンピックなどを契機に、放送映像がよりきれいになると言う。よりきれいなテレビ放送が求められていると(作り手側は)言う。他方、自由な録画を認めない形になるのではないかとも議論されている。「テレビ」って何がしたいのかな?みんなはどう求めているのかな?