年齢、時間、効率化

小さい子供はそうそう集中力が続かない。

集中力はそれで結構体力がいるもんだ。

だから、たとえば工作だったり、積み木だったりと、勉強以外であったとしても、集中している時は尊重しようと思っている。

 

と同じく、老人も体力がさほど持たないので集中力は短めだ。
すぐに喉が渇いたとか、トイレが近いといった事もあるだろう。
となると、コンテンツも、結果が早く知りたい。集中できる時間内に答えが出てほしい。であるならば、起承転結がコンパクトにまとまっているコンテンツが期待される。
別に明確なインターバルではないかもしれないけれど、物語の起伏の谷間が10分間隔ぐらいで設定されていたりするのもその一つ。
 
子供と老人ばかりではなく、(スパンは違うが)大人の世界も結果を早く求められる。
かつてなら、3年で出してきた結果を1年で。1年で出すべき結果を6ヶ月でというビジネススピードが当たり前になりつつある。
 
ただし、物理的スピードとして、どうしてもある速度以上にはあげられない場合もある。(一部のエリートを除いて)教育においては、小学校中学校を、今より2割はやめるように、なんていう提言が受け入れられるわけはない。学ぶべき知識、情報量は、増えこそすれ減ることはまずない。学びには時間がかかるし。そもそも、うまく教えられる人ばかりではなく、先生の当たりハズレが人生を左右することも。
 
スピードを上げるべきもの、あげられないもの、あげてはいけないもの。もちろん、あげなきゃいけないモノも。
いや、もしかするとコペルニクス的転回で、今はできないけれど将来できるモノがあるのかもしれないけれど。無理強いすべきではないところで、それを壊しているところは無いんだろうか?