図書館という名の

ネットが発達したことにより、それ以前では手に入らなかった情報やデータが、「見かけ上」無料で手に入ることが増えてきた。

過去ビデオや音楽が無料で。著作権の切れた本のデータが無料で。

 

だから、それ以前から無料で手にできる機構自体に対する認識も、その意識が強くなってきた。


今、多くの人が「図書館」に求めているのは、「無料の本屋さん」の機能。

だから今の売れ筋書籍を潤沢にそろえ、ベストセラーをすぐに無償で手にしたい。

 

もちろん、そんな機能や役割も少しはあったかもしれないが、本来の図書館の機能としては、文化や文献の保護といった、人々があまり意識していなかった役割りがあったはずで。

 

「人が希望する機能のみを無償で提供する設備」を、公共サービスとして提供しなければいけないとするなら、無料のCDショップ、無料の料理屋などがなければならないわけだが、以前はたまたまそんな形を想像させる設備が以前にはなかっただけだ。(以前から、図書館でCDやDVDを貸し出していたところは…むにゃむにゃ…)

 

もちろん、無償で提供できることが可能ならばそれに越したことはないけれど、社会として、ルールとして成り立つ形でなければ、そうした設備はこれからずっとは維持できない。
欲しいモノが無料で手に入る、と思い込んでいると、必ずどこかでその「ツケ」を払っているのが世の常。
違う言い方をすれば、仕事においても、プライベートにおいても、極限まで削りに削る事により、何かお得な事があれば、少なくとも自分だけには、無料サービスはとりあえず、という流れになっているのかな。
足るを知るって言葉があったなぁ…。
でもいまは、足りなくなるほどに削られているんじゃないかな。