くれくれ

昨今、多くの人が、自分が貰う事、与えられる事ばかりを気にしている。

自分が何を与えられるかを先に述べる人は少ない。
 
結婚にしても、会社にしても、
配偶者にこんな事を「期待」するだの、
給料は少なくともこのくらいは「期待」するだの。
 
だからこそ、そんな「与えてくれるだけの人」は見つからないし、
いい給料で仕事が楽なところは当然見つからない。
 
だからと言って、働きを「過度」に搾取しようというのは当然間違いなわけで。
適切な働きに対して、適切な対価を。
これに尽きる。
 
与える方がそれを渋るから、だからもらえる時にはもっともっと、と「くれくれ」状態になり。もらう方が「もっともっと」効率よく、というからこそ、与える方は出し渋る。
ともに節度を持って、正しくふるまう事。
 
逆に言えば、どちらかが過度にふるまえば、相対する者はそれに対抗せんと振る舞わざるを得なくなる。働き手も、企業も、足るを知らずして適正な労働環境は作れない。

競争と言う市場の中において「だからお前は」と一方的に攻めるだけなら、抜ければいいのだ。が、一時的に抜けてもしばらくは生き延びるだけの「余裕」がある人だけにとれる戦術。昨今はそれすらほぼ「干からびるほどに」搾り取られており、労働者側が不利な状況に。こういう状況を守るのが「公(おおやけ)」の役目だとおもっていたのだが。特権階級だと思っている人がそこにも…。
(sigh)