優しさと言うこわさ、怖さと言う優しさ

恋人や彼氏彼女はどんな人がいいですか?と聞かれて、「怖い人」と言う方はまずいない。ありがちなのが「優しい人」。怖い人は嫌われる。


ちょっとミスしただけで小言を言われたり、いつ怒られるのか、カミナリが落ちるのを心配してビクビクということもある。
優しい人は好かれるらしい。
ちょっとしたミスぐらい、ダメだよぉ〜と優しく諭してくれる。すみませーんと答えておけば問題なく、和気藹々と現場が和む。
 
でも、「本当に優しい」のはどちらだろう。
 
きちんと怒るべき、しかるべき時にピシッとけじめをつけて怒るのは、怒る方からすると相当のエネルギーが要る。相手のことを思えばこそ怒ったり叱ったりするわけで、どうでもいい相手ならば、ほったらかしておけばいい。
と考えると、いいよいいよぉ〜と優しく諭してくれているように見える人は、本気でエネルギーをかけるまでもないと思っていることはないか。いつも、「私」のことを気にかけて、「本気で」叱ってくれる人と、「私」のことなどどうでも良くて、サラリと流すために優しく微笑んでくれている人と。
 
もちろん、言い方もある。タイミングもある。だからいつもいつも厳しいわけじゃない、怖いわけじゃない。でも、いつもいつも優しい、いつもいつも緩く諭しているだけでは効かなくなった時にその人はどうするのか?
怖いと思わせてくれることで本当の意味を伝えてくれている優しさと。
優しいと思われたい事でその場をしのいでいるだけの怖さと。
 
そして、多くの人がこれがうまく使えなくて。
いつも怖かったり、ずっとやさしくし続けたり。
嫌われたくないからね。良い人だと思われたいから。
そんな人でいっぱいになった社会って。
見せかけの優しさで満たされた世界とは。