互いの認識

遠くない未来において、ドローンで荷物が運ばれる世界が普通になったとして。

 

一部地域を除いて、ドローンが大量に列をなして飛ぶ飛行空域が生じるという話にもなるのだろうか。今はまだ、「ドローン飛ぶ、スゴイよ!」レベルで話題になることもあるけれど、数が増え始めたら当然、互いに認識したり、時にはぶつかったり、衝突して自分が落ちたり、抱えている荷物を落としたり…。と、少なくとも自分が落下したりしないようにする技術が必要になるのは当然。
多分、その業界では当然そこまで見据えて技術開発や、ルールの制定を考えていることだろう。
 
今はいいけれど、数が増えたら。
 
最初から数が増えている状況のモノたちに、一斉にルール縛りをかけたりすると市場がしぼみかねない。なので、最初はポンとテクノロジーを放り込んで見たりもする。
しかしそれらが便利だ、みんなで使いたいとなった時から、数が増えた後付けでルールが必要になる。
互いの利害を調整しながら、互いを認識しながら。
 
これにある意味失敗しつつあるのが車の自動運転技術。2000年代から日本車が世界をリードする技術を持っていたにもかかわらず、それ以外の「道路側」の工事や利権を動かしたくて、完全化を阻害していたことで、世界が追い付き、あわてて日本が後追いすることに。
 
所詮、誰かを認識しながら生きるしかない。複雑に思惑が重なりながら動くしかない。
遠慮でもなく、征服でもなく。互いを認識し、尊重する。
物理的衝突でなくとも、情報空間の衝突であっても。利害空間の衝突であっても。

…とすると、最近なくしている大切なものは、尊重かもな。